中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
教材の出版とテスト会の運営、EQ育成などトータルサポートする田島教育グループ
2014.6.16
なぜ勉強しなければならないのか、お子さんから聞かれたことがあると思います。
その時、どんな答えを用意されたでしょうか。
お子さんはその答えで納得されたでしょうか?
実はこの辺りが子供たちに、合理的な逃げ道を与えてしまうことがあるのです。
どう指導すべきか、私の経験からアドバイスさせていただきます。
「先生なんで勉強しなきゃいけないの?」
塾を開いて間もなく突きつけられた難問です。
質問の主はほとんどが小・中学生でしたが、中には高校生もいたはずです。
こうした質問をしてくるのは、案の定、成績が低迷していたり、勉強から逃避
することばかり考えている子供たちがほとんどだったので、
「つべこべ言わずに勉強すればいいんだ。勉強はお前たちの義務なんだ」
などと誤魔化しながら、今から思えば、お恥ずかしい限りですが、
実は、考え込んでしまったのです。
本を読み漁ったり、これはという人に聞き回ったりしましたが、なかなか
納得のいく答えに辿りつけなかったので、逆に子供たちに聞いてみました。
「学校の先生は何て言ってる?」
「お父さんやお母さんは何て言ってる?」
答えはほとんど同じでした。
自分のためだ。
自分が幸福な人生を歩むために必要だから勉強するんだ。
そこで子供たちに聞きました。
そう聞いてどう思う?
もし本当に自分のためなら、そんなに幸福にならなくてもいいから
勉強なんかしたくない。
欲張って幸福になるために勉強するより、幸福にならなくてもいいから
遊ぶ方がいい。
自分のためなんだから、勉強しなくても、誰にも迷惑を掛けないでしょ。
じゃあ、お前たちを大事に大事に育てているお母さんやお父さんの気持ち
はどうなるんだ、などど議論していっても、なかなか話が進みません。
そうこうしている時に、私は、あのアインシュタイン博士の言葉に出会いました。
博士を手伝う研究室の学生達が、ある日こう尋ねます。
「先生は一体何のために誰のために、一年中休みも取らず、朝から晩まで
紙と鉛筆を握りしめて、髪の毛をかきむしりながら、苦しんでいるんですか?
とても私達には、そんな人生は送れそうにありません。」
これに対して、博士はこう答えられたそうです。
「誰のためだって? そりゃ、人の為だよ。誰か知らない人のためだよ。
私は人生の価値についてこう考えている。
生涯を通して、どれだけ多くのお金や名誉や名声をを集められるか、
ではなく、どれだけ多くのものを人に与えられるかだとね。
だから、理論に行き詰ったりして、確かに辛い時もあるけれど、
そんな時も含めて私は充実した喜びに満ちた毎日を送っている。」
私は納得しました。
その時から今日まで、勉強は人のためにするものだ,と子供たちに
言い続けてきました。
早く一人前の大人になって、人々の役に立てるようになる為に
準備してるんだ。それが勉強なんだ。
誰もが、みんな、将来必ず何かの役に立つ。
そのためには準備が必要なんだ、と。
年齢差もあれば個人差もあります。
私の言う事の意味を、どれだけ理解できたか定かではありませんが、
勉強することに対して、自分なりの意味付けや意義付けができ
その価値に気づいた子は必ず変化します。
積極的になり、集中力が増し、忍耐力が強くなります。
結果、成績が上がります。
あの大震災の直後、ある一人の優秀な小学五年生が、受験勉強を
続けるのが苦痛だから、受験を諦めたいと言っている、何とかならないか
という相談を受けました。
彼は将来建築家になりたいと言っている、と聞いていたので
私はその子にこんな風に話しました。
「将来君がどんな津波にも耐えられる堤防を設計できたら、どれだけ多くの
人々を救えるかわからない。
そんな建築家になるためにはその準備が必要だ。
その準備の一つが、君が目指している受験だ。
だから、君の毎日の勉強という努力の積み重ねは、まだ会ったこともない
多くの人々たちの為ともいえる。
それに、そんな凄い建築家になれる可能性はだれにでもある訳ではない。
少なくとも、君は現在かなり上位の成績を上げている。
だから、可能性を授けられた者の責任という意味でも、今逃げてはいけない
のではないだろうか。
こんな風に考えても、毎日の勉強を苦しいと思うだろうか。
受験から逃げたいと思うだろうか。」
その子は自らの受験について、その子なりの意義付けができたようで、
間もなく勉強に復帰しました。
現在も頑張っており、成績も伸び続けてています。
これは、言葉を変えると、価値観や思想の進化・成長が学力を押し上げたとも言えるでしょう。
そして、価値観や思想の深まりが、まずEQの発達を招き、結果として学力が向上したとも
評価できるのではないでしょうか。
自分の存在それ自体や、自分の味わっている苦痛ともいえる努力の価値に気付くと、
集中力が増し、忍耐力が増し、成果が上がり、自信をつける。
そして自己肯定感も増す。
これは正にEQが向上した証左です。
価値観の進化が、EQの開発を促したのです。
その結果、学力もアップしたのです。
新皮質の辺縁系に対するグリップ力がアップしたのでしょう。
価値観・思想の強化がEQの開発に繋がり、学力も増強した経験を
もう一つ挙げましょう。
草津温泉の裏に六合村(クニムラ)という場所があり、
そこに、白根開善学校という全寮制の学校があります。
今から三十年近く前になりますが、毎年夏になると、その白根開善学校を
お借りして、高校生(高1から高3まで)と十日前後合宿をしていました。
その頃は現役高校生主体の予備校も経営しており、その最大
イベントだったのです。
当時、開善学校は、正に、陸の孤島の趣があり、一番近い自動販売機が
歩いて一時間余り下山した所にしかありませんでした。
川の中から温泉が出ているので有名な尻焼き温泉が、山の麓にある
のですが、大型バスはそこまでしか入れず、生徒達を連れて
二時間あまり、落石注意といたる所に書いてある山道を歩いて登らな
ければなりません。
荷物は職員の車でピストン輸送。
寝具は地元の貸布団屋さんから調達して、直接学校まで納品してもらいました。
寮室以外すべて解放していただき、連日連夜、ほぼ二十四時間態勢の指導
でした。
ですから、毎年、4・5日過ぎると教員の中から倒れる者がでていました。
それが当たり前という雰囲気が教師にも生徒にもあり、
今思うと一種異様な世界でした。
朝礼の時間と食事時間と風呂の時間だけは厳守でした。
食堂と風呂棟の使用は最低限に抑えて、節約しなければならなかった
からです。
早朝から深夜まで、教室では授業が行われ、図書館は二十四時間
電気が点いており、講師部屋にも質問や議論のために、
生徒たちが絶えませんでした。
朝礼では毎日、開善学校の創立者であり私が心から尊敬する、
本吉修二先生に訓話をお願いしておりました。
この朝礼でのお話がきっかけになって、生徒たちが本吉先生の元に
集まるようになっていきます。
昼間、本吉先生は各教室で行われている授業を、開善の授業をもっと
良くするためのヒントが欲しいと言われてよく参観されていました。
そうした接点も効を奏して、合宿が始まって間もなく、先生の周囲には
俄か人生哲学ゼミみたいなものが、いくつも立ち上がっていきました。
こうした事態は、先生のご好意に甘えるということで一応事前の了解は
いただいていたのですが、実のところ、合宿での大きな裏カリキュラム
でした。
私もそのゼミの議論によく参加させてもらいましたが、実に楽しいものでした。
その延長で生徒たちと、朝まで激論を交わすことも度々ありました。
高二の夏というのが、人生について語り合う一つの絶好期だなと当時何度も
思った覚えがあります。
この合宿の効果は抜群でした。
生徒も教師も変化しました。
もちろん個人差はあるにせよ、例外なく変化を呼び起こしていたと思います。
秋以降、成績が急伸する生徒が何人も出ました。
現役で東大・一ツ橋・東工大に早・慶といった一流どころにどんどん受かり
はじめたのがこの頃でした。
勉強の仕方が会得できたとか、教科ごとの対策のコツが飲み込めたとか、
合宿中身に付けた知識が点数を押し上げたとか、説明しよう思えば
できましたが、本当の理由は違うところにある、と当時確信していました。
価値観・思想が力を増したのです。
合宿中はまだ揺らぎを与えられただけと言う生徒もいたかもしれませんが、
そうした生徒さえ、その後の時間の経過とともに、それぞれがそれぞれの
価値観を進化させ思想を成長させていったのだと思われます。
何故そんなことが出来たのか。
第一に本吉先生の存在でしょう。
先生の説かれた思想もさることながら、存在そのものが凄かったと思います。
解き放つオーラと、誰彼隔てない、いつも全く同じトーンのコミュニケーション
の取り方。
優しく穏やかな物腰の中にも、信念を貫き通す、教育者としての激しい情熱。
全くのゼロから自らの実践を基に学校を築き上げた自信と迫力。
教師にとっても生徒にとっても、まず彼らの日常ではあり得なかった
偉大な人格との出会いは計り知れない大きなものだったと思います。
第二に、あの外界と遮断された環境でしょう。
テレビもなければ、ラジオもない。
しゃれた息抜きなんて絶無。
あるとすれば山の自然のみ。
しかも、夜は熊などの野生動物が出没しかねない、漆黒の暗闇。
自己と真正面から向かい合う、絶好の機会だったに違いありません。
この頃はまだ世にEQ理論などありませんでした。
しかし、価値観や思想が強化されると、成績が上がり易いということは
厳然たる事実として認識できていました。
詳しくは次回お話します。