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2014.9.15
EQと呼ばれる知能は、繰り返しになりますが、情動を認識・識別し、
その内容を理解し、そして、活用したり、上手に調整管理していく能力を指します。
したがって、EQはまず、情動をしっかり認識・識別することから始まる訳です。
今回はこの識別について、どのように子供たちに指導したら効果的か、お話しいたします。
自らも含めて、人がどのような気持ちでいるのかを、正確に認識することは実はそう簡単なことではありません。
すでにお話ししましたが、まず、気分と情動とを区別しなければなりません。
気分は一定期間持続するので、その様子をつかむのは、比較的容易だといえるでしょう。
暗い感じか明るい感じか、前向きか後ろ向きか・・・・・・・・
一方情動の方は一筋縄ではいきません。
その強弱も含めて動きが激しいからです。
またその中身も、よくよく見てみると意外と複雑なのです。
情動は基本的な十余りの(研究者によりかなりばらつきがあるようですが)情動の組み合わせで成り立っていると言われています。
よく例にとりあげられているのが、軽蔑という気持ちです。
この情動が沸き起こった時どのように表現するでしょうか。
嫌悪感や怒りや喜びの混じり合った情動などと表現することになるようです。
ではどうしたら、この情動に対する認識力を高めることができるのでしょうか。
研究者はまず、情動に対するボキャブラリーを、豊富にすることを勧めています。
子供たちの、情動にまつわるボキャブラリーを増やすには、具体的にどうしたらいいのでしょうか。
まず、外から入れない限り増えない、という当たり前の事を認識していただきたいと思います。
先に言葉が頭にあって、情動体験が後からあって、あーこれが・・・・・と言ううんだな、でももちろんいいのであって、
体験を積み重ねてからでないと言葉は身に付かないということはありません。
したがって、常日頃、親なり教師なり、周囲にいる指導者者が、そうした語彙を付けてあげるという意識が重要だと言えるでしょう。
方法論としては、第一に読書です。
物語・小説を中心に伝記や歴史物もいいでしょう。
読書習慣は、その楽しさや喜びを知るきっかけが大切です。
子供の成長段階に適した、本人の興味に合致した本を与えるよう考えましょう。
その上で、情動に関する語彙を日常の会話でも使うように心がけるのです。
周囲の大人たちが、意識して気持ちを言葉に表すようにするのです。
子供にも、どんな気持ちか、機会があるごとに聞くようにしましょう。
上手く表現できない時こそ、語彙を増やすチャンスです。
候補になる言葉を挙げたりしながら、教えてあげましょう。
言葉にすることができたら、その情動はその人のものだと、研究者も述べています。
情動に注意を向け、興味を持ち、表現することの大切さを合わせて教えましょう。
そして、人を動かすのは、情動であるとか、コミュニケーションにおける情動の重要性や、そのやり取りの難しさも教えていきましょう。
コミュニケーション上の情動の認識には、誤解と錯覚がついて回ることを早い段階から伝えたいものです。
そして、不要な対立を防いだり、人間関係を改善したりするのにも、情動の識別が大変役に立つ事を体験させましょう。
主張の対立ではなく、単なる情動の読み違えが障害になっているケースの存在に気付かせるのです。
このような学習は、その後の人生に大きな可能性を与えてくれると思います。
読書以外では、自然に触れる体験や、生き物との交流などを通じて、情動が躍動することが有効だと思われます。
その躍動の時々で、新たな表現を学ぶことが出来るでしょう。
同様の理由で、音楽や絵画など、芸術との接点も薦められます。
同時に、情動に注意を向け、洞察することを挙げます。
そしてそれを表現できなければなりません。
この一連の学習もしくは訓練の中で幾つか注意しなければならない事があります。
まず自身の情動に対する洞察ですが、そうした習慣を身に着けてゆくことは非常に有益で、EQ開発には不可欠な要素ですが、
個人差もありますが、急激で過度なものは、却って、一時的にマイナス効果を与える場合があるようなのです。
つまり、過度の洞察・内省はネガティブな気分を引き起こす場合があると言われています。
ですから、自らの情動に注意を払い、その内容を知ろうとする努力は必要ですが、
気分がネガティブになり始めたら深追いせずに中断するなりして、自分自身に対する一定の距離感を保つことも重要なようです。
そうした試行の繰り返しで、自分なりの距離感を保った上での洞察が実現するようです。
他者の情動の識別はまた違った意味の難しさがあります。
それは、表現された情動の真偽です。
よく、表情もほとんど変えず、身ぶりも手振りもない、読みづらい人と言われる人がいます。
実際、上手く表現できないのか、出来ても表現することを好まないのか、
あるいは、敢えて表現しないのか、様々な場合が考えられますが、
その場での正確な識別がやはり期待されるところです。
その精度を高めるためには、声の調子・身振り手振り・表情・視線・体の動き
等々、総合的に洞察できるようにならなければなりません。
ここで知っておかなくてはならないものに、「マレービアンの法則」があります。
これは、コミュニケーションでの情報のやり取りは、言語から七パーセント
口調などの話し方から三十八パーセント、五十五パーセントは表情や身振り手振りを通じて行われるというものです。
このパーセンテージについては諸説あるようですが、情報のやり取りの
ほとんどは、非言語、所謂ボディランゲージによる、というのは定説になっているようです。
今お伝えした事は、そのまま、自らの表現力の問題に置き換えられます。
自分の情動が、相手もしくは周囲にどのように理解されているのか、
どのように受け取られているのか。
自らが期待した受け取られ方をしているかどうか、自分の抱いた情動とは違った
情動だと相手が判断してしまう可能性も考えなければなりません。
感情表現の能力は、非常に個人差が大きいと言う研究者が多いようです。
育った環境、与えられた文化。
感情表現が嫌われる文化か好かれる文化か。
そうした個人ではどうしようもない要素も存在するようですが、
しかし、この表現能力もコミュニケーション能力の一大要素ですから、
開発しなければなりません。
私達は幼児期から、数えきれないほどの情動の読み違いや読まれ違い
を繰り返し、その度に人を傷つけたり、傷つけられたり、いざこざを起こしながら
表現力や情動の識別力を強化してきているのです。
実はこの表現力や識別力といった点で、自分でも気づかないまま被って
しまった損や、失ってしまったチャンスが誰にもあるのではないでしょうか。
そう書いている私自身忸怩たる思いになる事件が、いくつも浮かんできます。
そうしたことも踏まえ、子供たちには早い時期から、この情動の識別に目を
向けさせていきましょう。
何か友人や周囲との行き違いが生じたりした時がチャンスです。
何が人を動かすのか。
ちゃんと友人や周囲の気持ちを理解できているか。
ちゃんと自分の気持ちを表現しているか。
間違ったシグナルを送ってしまって、違う気持ちだと誤解されていないか。
こうしたEQの能力の強化は、学業成績にも直結する部分があります。
例えば、人間関係で奪われていたエネルギーが、周囲に対する小さな配慮で温存できる場合などです。
成績が良かった子が、周囲との軋轢で悩み、急激に成績を低下させてしまった場合など、ちょっとした気づきで素早く立ち直ることが何回かありました。
元々分析力や洞察力のある子が、それを働かせる場を少し増やすだけの話なのです。
授業の聞き方の変化で、劇的に学校の成績が上がった例もあります。
これは、授業中の先生のボディランゲージが読めるようになって、定期テストでの
出題範囲が的中するようになったらしいのです。