中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
教材の出版とテスト会の運営、EQ育成などトータルサポートする田島教育グループ
2012.3.29
ここまで読まれ方のほとんどは、こうお思いではないでしょうか?
なあーんだ。EQって言ったって、何も新しいことじゃないじゃないか。
そうなんです。
私達が毎日ごく普通に使っている、ごく普通の知能なのです。
お母さんやおばあちゃんに注意された心がけにも通じるものなのです。
私は三十歳の頃、城野宏先生に数年間直接指導を受けたことがあるのですが(その時のことも改めて触れたいと思っています)、
始めに先生が問われた事の一つに、
「田島君、頭がいいというのはどういうことを指すのか説明しなさい」というのがあります。
勿論私は不合格になったのですが、先生の示された正解はこんなものでした。
「文章を早く正しく読みとり、時と場に適した正確で美しい文章を書き、計算も早く、論理の理解や組み立ても素早く正確で、
絵画や音楽をはじめ、芸術や自然に対して、豊かに感じ味わうことができ、他人の痛みや苦しみや悲しみに共感でき、勇気付けもでき、
いざとなれば敢然と命がけで闘う覚悟も決められる丹力もある。こういう状態を頭がいいというのだ。何となれば同じ一つの脳の働きだからだ。」
私はこうした教えに以前から接していたこともあってか、EQ理論には出合った時
から、非常に親しみを感じ、何ら特別な疑問も抱きませんでした。
そして、語学を学ぶ時の文法との関係に似て、EQ理論を活用することによって、より早く、より的確に、心を鍛えるこができると、私は自らの経験に照らして確信したのです。
もちろん、EQを向上させることと、心を鍛えることが同じだなどと毛頭申し上げるつもりはありません。
しかし、こころが鍛えられていくことと、EQが向上していくことはかなり重なり合う部分が多いと思われるのです。
学校でも一般社会でも、心の仕組みや扱い方、しいてはその鍛え方など教えていません。
ですからカリキュラムらしきものもありません。
そんな状況の中で、EQ理論はカリキュラムの主要な一部分を担えると思うのです。
ただし、何度も繰り返しますが、不遜な物言いに聞こえるかもしれませんが、
その正当性に必要以上に拘泥したり、理論に振り回されることは厳に注意すべきだと思っています。