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2012.1.29
では、先生や父の対応がどう違っていたら良かったのか、というと、
神経質なんていう、否定的な言葉一つで片付けないで欲しかったという事です。
神経質という言葉は、細かなことに気付くとか、繊細さとか、豊かな感受性とか肯定的とも取れる連想にも繋がりますが、
元来、些細なことに拘ったり、囚われたりして、本来の目標を見失ったり持てる力を発揮できないというような、否定的な姿を想起させる言葉です。
そして、弱さ、弱者に繋がり、劣等感を植え付けてしまうこともごく自然な成り行きだと思います。
後期自我が確立してゆく10歳頃の子どもに対して、しかも最も影響力の大きい身近な大人である父親と担任の先生としては、
もう少し配慮が必要だったと思うのです。
自分と他人との明らかな違いに気づき、それを認め、個性という括りの中でそれを育てていく出発点で、
不要ともいえる劣等意識を芽生えさせてしまったと思われるからです。
だからといって、二人に恨みがましい思いがあるわけではありません。
先生は、思い出に残る大好きな先生の一人ですし、今でも当時の素敵な姿が思い浮かびます。
父親はその後、私が小学校を卒業する直前に、病気で他界してしまったのですが、
魚釣りをはじめ様々な遊びを教えてくれましたし、たくさん叩かれはしましたが、大好きな、偉大な存在でした。
そんな大好きな人から言われたから、応えたのかもしれませんし、やはり、それを引きずってしまう神経質な面があったのでしょう。