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EQの開発③情動変化のルールを知り活用するⅡ EQ開発講座

2012.10.19

前回の情動変化に関する記述に、説明不足のところがあったようなので

今回はその補足をさせていただこうと思います。

まず情動変化のルールに対する必要だと思われる理解ですが、それは、ルールの存在自体です。

情動は遭遇する出来事の影響から、自動的に降って湧いたように出現するのではなく、

その出来事に対する、自らの評価が呼び起こすものである場合がほとんどあるということは、何度もお伝えしてきました。

同様に、情動の変化も、全く無秩序な状態で起きるのではなく、

そこには一定のルールがある、ということを知ること自体が、一つの大きな情報と言える訳です。

そのルールを頼りに、情動を上手く調整したり、管理して、活用する可能性が高まり、

コミュニケーションの面から言えば、誤解を減らし相互理解を高めることが期待できるはずです。

置かれた状況の変化や、会話のやりとりの上に、基本的には肯定的か否定的か、友好的か敵対的か、などの大まかな範囲の中で

通常は、かなり論理的な展開として、弱→強の変化を経ていきます。

では、こうしたルールを見抜いたり、活用したりする能力をどのように伸ばしていけばいいのでしょうか。

研究者たちは、まず、一様に記録すること、書き留めることを薦めています。

これまでに、書く事の有効性については何度もお話ししてきました。

私自身の体験からしても、実際に指導した生徒たちの成功例からしても確信をもって強くお勧めできます。

情動の変化に対する理解を深め、結果、EQを向上させ、同時に気分の改善も期待できるのが、書く作業です。

形式はどんなものでも構いません。

研究者の多くは、情動に焦点を当てた日記をまず推奨します。

情動について、その因果関係への洞察も含めて、一気に書き上げる。

この一気に、というのがミソで、気分の改善に劇的に効くことがあります。

一気というのは、自然に生まれてきた思いや考えを、あれこれ言葉を選ばず編集したりせず、

めちゃくちゃな日本語になっても、一切頓着せず、そのまま書くということです。

日記と言う形式でなくても構いません。

昔、高校生でアメリカに留学した生徒がいて、言葉もまだ未熟な時期に、英語の理解力が低いことをいいことに、

目の前でアメリカ人同士が、自分の悪口を言っているらしく、それが悔しくて、気が狂いそうだと書いてきたので

書くと必ず楽になるから、俺当てにどんどん書けと伝えたところ、短期間に何通も手紙が届きました。

しかし、その手紙たるや、日本語と英語のごちゃまぜで、敬語やスラングもごちゃまぜで、斜めに書かれたものや、得体の知れない絵の入ったものまであり、

事情を知らない人が見たら間違いなく、健康を疑うような代物でした。

が、それも、ほんの数か月の出来事でした。

後日、本人に事の顛末を聞くと、とにかく苦しい毎日だったらしく、私への手紙の事はあまり記憶にないようでした。

本当に覚えていないのかどうかは別として、書くことの効果が強烈に確認できた事例と言えると思います。

また、自分が苦手とする情動に対する対処について補足しますと、記録からその情動の現れる状況を特定して、

緩やかな出現状況からだんだん劇的な出現状況まで想起できるようにするのです。

その上で、その情動を弱める工夫を試してみるのです。

工夫の例としては、以前からお伝えしている、自分専用の風景や音楽や言葉などのストックを呼び起こしてみるのが一般的です。

人物の顔を思い描いたり、何らかのきまった動作を行うことも有効だと言われています。

これら一連の方法は、所謂、「系統的脱感作」(systematic desensitization)と呼ばれる手法の応用だとされています。

さらに子供たちへの指導です。

こうした、書く事を通して能力を開発してゆくのはもちろんお薦めしますが、他にも、私が試して有効だと思われる方法や教材をお教えしたいと思います。

以前、ピーター・サロベイ博士と直接お話しできた時に、国語の教材や歴史の教材に組み込む形で、EQの能力を育む教材作りをしていると申し上げたところ、

積極的にどんどん進めるべきだと勇気づけられたのを覚えています。

その一例です。

まず普段行っている国語の読解の授業で、問題文が物語だった場合、こんな形で指導します。

問題文の続きを書かせるのです。

ただし、条件を付けます。

情動の条件です。

例えば、主人公の太郎は、その後、驚き、喜び、感謝し、最後に誇りを感じた。

この情動の変化に沿っ続きを二百五十字以内で書く、というようなものです。

例えば、太郎はかすかな羽の音に気付いて驚いた。

それは、死んでしまったとばかり思っていた、カマキリのゴンの羽音だった。

自分がえさをやるのを忘れたために、死なせてしまったと思っていたゴンは

まだ生きていたんだ。

太郎の胸に喜びが溢れてきた。

同時に、太郎が早々と諦めてしまった世話を、陰で続けてくれていたのに違いない、弟の次郎に感謝した。

親子げんかをしたり兄弟げんかをしたりしていても、やっぱり家族の絆はちゃんとあるんだと思うと、なにか誇りを感じずにはいられなかった。

また教材としては、例えば、

[適文補充]

食事時間になったので、今日初めて同じクラスになった四人は、輪になってそれぞれの弁当を開けた。

太郎は、僕のお母さんの作るハンバーグはおいしいんだぜと自慢しながら食べ始めた。

次郎は負けじと、うちはコロッケさ。と、まんまるのコロッケを高々と掲げて食べ始めた。

一郎はとんかつだった。やはり一郎も、このとんかつは特別なんだと自慢した。

しかし、最後になった清は、黙々と食べていた。

太郎はそんな清を見て、こいつんとこは、たいした弁当じゃないんだな。

かわいそうな奴。

と何か優越感みたいなものを感じた。

(                                    )


太郎は何か決まりの悪い、はずかしい気持ちになった。

解答例としては

帰り道、いっしょになった一郎から、「清って、まだ赤ちゃんの時、お母さんがなくなっちゃったらしいよ。」と聞かされた。

いかがですか。勘所は掴んでいただけたと思います。

次回は、前回おはなししたように、知識の点検を始めたいとおもっています。