中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
教材の出版とテスト会の運営、EQ育成などトータルサポートする田島教育グループ

お問い合わせ

EQの開発③楽観志向を高める工夫Ⅳ EQ開発講座

2012.10.4

いわゆる御三家と言われる中学に初めて合格者を出せたのは、開塾四年目の春でした。

開塾のとき、小3で入塾してきた女の子で、桜蔭中学に合格しました。

もう三十年以上前の事になりますが、その子のことは良く覚えており、小6の秋に一悶着あったのですが、その時のやりとりの記憶もかなり鮮明です。

その事件のお蔭で、それ以降の受験指導が力強いものになっていったと思います。

中学入試に限らず、高校受験や大学受験も含めての話です。

これまでお話ししてきた、楽観性に関する知識など、ほとんど持ち合わせていなかったにも拘わらず、

今振り返ってみても、本人の楽観性を喚起させ得る理に適ったものであったと思えます。

その事件とは、突然の、「受験勉強放棄宣言」から始まりました。

ある日お母さんから悲痛な電話が入ったのです。

「先生大変です。うちの子が突然受験をやめる。だから受験勉強もやめる。

と言い出して、昨日から全く勉強していないんです。塾もやめるって言ってます。

理由を聞くと、無駄だということが判ったからだ、の一点張りなんです。

どうも合不合の結果が、本人の期待に反して、相当悪かったからだとは思うんですが。

三回ある内のまだ一回目の結果なんだから。本番まで、まだ三か月あるんだから。

短気を起こしたら負けよと何度も言ってきかせたんですが、全く耳を貸さないんですよ。

今日塾に行く事だけは承知させましたので、後は先生が頼りです。何とか説得してください。」

私と本人との話し合いが始まりました。

案の定、事のきっかけは、合不合の結果でした。

合不合というのは、現在もありますが、四谷大塚進学教室が主催する、首都圏の中学入試での合格可能性を判定する模擬テストで、

当時、独占的な地位を確保していました。

ただ、まだ偏差値を使った判定ではなく、正にアナログそのものという代物でした。

学校別に棒グラフ状の表が並んでおり、上から点数刻みに従って人数が書かれ、途中に、ここがボーダーと太線が引かれているのです。

これは視覚的にも、かなり強烈です。

合格するためには、あと150人も抜かなくちゃダメなんだ、なんて話になるからです。

多分お母さんが言ったであろうと思われる話から、私も始めました。

一つの資料にすぎない。

結論づけるにはまだ早すぎる。

まだまだ時間はあるんだし、お前ならきっと逆転できる。

本人曰く。

気休めは聞きたくない。

ダメだと判っているのに、努力するのは間違っている。

その時間を、もっと有効に使う事を考えるべきだ。

中学受験する子なんて、クラスでも、全部で十人もいない。

押し問答のような形になっていったので、私が遂に、こう言ってしまったのです。

「分かった。俺が言った通り勉強したら必ず受かると保障しよう。万一受からなかったら俺は腹を切る。これでどうだ。」

敵も然る者です。

空かさず、こう言ってきました。

「先生それは狡いよ。受かれば、俺が言った通りに勉強したんだ、もし落ちたら、俺の言った通りにに勉強しなかったからだと言えばいいんだもん。

腹を切るなんて言ったって、どうせ嘘じゃない。時間があるって言ったって、それは競争しているみんなも同じだよ。

今負けてるってことは、いままでの勉強の仕方とか、勉強の量も負けてるってことで、ふつう考えたら、差はひらく一方でしょう。

それに一人や二人じゃないんだよ。」

それから、私の本格的な反撃が始まりました。

何故、今こうだから三か月後の結果がダメだ、落ちる、終わりだって話になるんだ。

本当はお前は桜蔭に行きたいんだろう。

合格したいんだろう。

だったら、来年の二月二日に合格するところから考えようじゃないか。

合格できるということは、前日の試験で、少なくとも合格最低点以上の問題を正解している。

ということは、それまでに、それだけの力がついていて、しかも、当日その力を発揮できたということだ。

その力が仮に今あったとしても、来年の二月一日までに少しでも無くなっていれば不合格だし、

当日、充分な力があったとしても、それが発揮できなければ、同じように不合格になってしまう。

残された時間というのは有利にも不利にも働くんだ。

合格するためには一か月前どうでなければならないか、二か月まえは、そして今日はどうでなければいけないのか。

しかも子供たちは一人一人個性も違うし、科目や単元に関する好き嫌い・得意不得意もある。

付け加えるなら、志望校の出題傾向や実施方法の違いもある。

それは受験生にとっては、相性というか向き不向きの話になり、とても模擬テストなんかで判定できるもんじゃない。

そうした諸々のすべてを知っているのは、まー、お前に対しては俺しかいないだろうし俺には受からせる自身がある。

だから、俺が言った通りに勉強しろといってるんだ。

それでもお前は、ダメだと思うか。

無駄だと思うか。

彼女はなんとか鉾を収めました。

その後もいろいろあったと思いますが、その日の事以外はあまり覚えていません。

あとは、合格を知らせる電話と、その報告・お礼に来たときの情景だけです。

なにしろ、受験生に対しては、一貫して不合格の話は思うことも話すことも禁止して来ました。

「このままだと落ちちゃうと考えると眠れません」

という高校生には

「だったら考えなきゃいいだろ。眠る前は何も考えるな。どうしても考えてしまうなら受かるところから考えろ。

合格者名簿に自分の名前があるところからイメージしろ。

自分の自信を危うくしたり、自分を苦しめるような考えは一切捨てろ」

と言い続けていたつもりです。

もちろん、いまだに悔まれる事例もたくさんありますが、その後長い間心の在り方について学んできても、

楽観性を確保することに関しては間違っていなかったなと思えます。

笑いについても今回触れるつもりだったのですが、また長くなってしまったので

次回心理パターンのお話しとともに、書かせていただきます。