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2012.10.24
EQの開発のコツを、次のような三条件に沿ってお話してきました。
1 必要な脳科学や心理学の基礎知識を身に付ける
2 価値観・思想を強化する
3 積極的に体験を積む
これらの内、1 の知識についてずっと話してきた訳ですが、その主要な重要点はすでにご紹介しました。
例えば、情動は手に負えないと思っている人が多いが、驚く程コントロールできるものだ。
何故なら、私達が日々遭遇する出来事と、情動の変化の間には、必ずといってよい程、何らかの評価が介在しているからだ。
情動を上手く扱っていくのがEQだが、それを支える土台として、楽観性という気質作りがもっとも重要で、その実現にむけた工夫は、数々ある,等等です。
ですから、これから数回かけて、残りの部分を(これまでの説明と重複するところもあると思いますが)取りこぼしがないように、取り上げていくつもりです。
これまで何度も申し上げてきましたが、EQと呼ばれる能力は、自分自身やコミュニケーションの相手の情動をしっかり識別し、その意味を理解し、
その後の変化を予測し、その情報を活用し、同時に、自らの情動に関しては、きちんと調整・管理する能力とされている訳ですが、だとすると、その大前提とし、
一つのしっかりした認識が必要になります。
正に基本中の基本に当たる事で、まだ真正面から指摘してこなかった事柄です。
それは、情動を敵に回さないということです。
その存在を正当に認め尊重するということです。
一昔前までは、心理学を担当する研究者でさえ、情動は扱い辛いもの、病理的な必要にせまられた時にのみ、
限定的に扱うという姿勢が一般的だったようで、一般の人々にいたっては、基本的に情動に対して敵対していた訳です。
感情を露わにするな。忍耐が肝心だ。涙をみせたりするな。動揺するのは心が練れていない証拠だ。
感情などは捨て、一貫して平常心でいる事が最上である。等々です。
しかし、ここ三・四十年で専門家たちの研究姿勢も変わり、積極的な研究対象になり、心の病気に関連した扱いなどではなく、
人間の持つ可能性をさらに開花させる重要な能力と位置付けられてきたようです。
人類の歴史は七百万年余り。
その内の、最近百万年をかけて完成させてきたのが、我々の持つ情動であり、
これまで生き延びてくるのに、必要不可欠なものだった、というのが最新の歴史的評価のようです。
しかもその情動の内訳は、感謝とか喜びとかといったポジティブなものに限らず嫌悪や怒りや憎しみや嫉妬といったネガティブなものも含むのです。
本当にネガティブな情動も役に立つのでしょうか?
例えば怒りがどんな役に立つか?
もし怒りという情動がなかったら、不公平や差別を強いられても、そうした悪や不正を正すための力が湧き上がってこないでしょう。
また脳科学の分野でも時を同じくして、人間が理性的な決断を行う上で、情動の力が不可欠であるということが実証されたのです。
それは、脳の中で、理性的判断を担う部分と、情動を司る部分とをつなぐ神経回路に損傷をうけた患者たちが示した障害から判明しました。
患者たちの認知能力や、知能指数には全く問題はなく、正常な思考を基にした会話もスムーズに行われていました。
しかし、驚いたことに、意志決定がなかなかできず、行動になかなか移れないことが判明したのです。
友人に電話を掛けなければならない。掛けなければならない。掛けなければならない。と考え続け、いつ掛けるかを決められないのです。
このことから、脳科学者たちは、大脳辺縁系と大脳新皮質(別の言い方では、扁桃核と前頭前野)の共働によって、人間の精神活動が行われていると結論づけた訳です。
子供たちには、まず、情動も必要な力で、情動の特徴やその働きについて知ることは、生きて行く上で、とても役に立つということを教えてあげましょう。
情動を無視しようとしたり、押さえ込もうとしたりすると、情動の様子を知り、その動きに対処するのに必要なエネルギーや注意力が消失してしまうことを教えてあげましょう。
このEQ開発講座の冒頭部分でお話ししたと思いますが、私が父から言われたような言葉、
「神経質だなんて書かれやがって・・・・」などど、決して言わないように注意していただきたいものです。
勉強にもスポーツにも音楽や絵画などの芸術にも役立てることができる、ということを、できるだけ早い段階で知らせてあげるべきだと思います。
私の経験から申し上げますと、もちろん個人差はありますが、小学四年生前後から、充分可能だと思います。
次回は情動に対する理解の第一歩、その識別について整理したいと思います。