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2012.11.14
思考や意思決定には情動の存在が不可欠である、という事は何度も申し上げてきました。
そもそも、思考という日本語自体、そうした本質を衝いているとも考えられます。
つまり思ってから考える、と読み解くと、心理学者や脳科学者が辿り着いた結論と正に一致するからです。
この情報から、情動の活用例として、幾つか挙げて来ましたが、今回も続けてコミュニケーション上での、情動の活用についてご紹介していきます。
他人の考えを理解する、ということはその考えを支えている情動が必ずあるはずで、
その情動をも理解して初めて、他人の言いたい事、伝えたい事が判ったことになるはずです。
では、情動を理解するというのは、一体どういうことでしょうか。
まず相手が抱いている情動、若しくはそれに近い情動を知らなければなりません。
その上で、その情動を自らが追体験のような形で、想像・再現できる事だと研究者は言います。
実はこれが共感するということの中味になる訳ですが、こう考えてきますと普段自分たちが思っている共感とは、質的にかなり違う場合が多いと思いませんか。
それだけ相手を理解するいう事は難しいといえますし、だからこそ、そこまで共感でき、
共感されていると相手も確信できる関係が構築できれば、お互いにお互いが、活かし合える存在になり得ると思われます。
但し、ここで注意しなければならない事があります。
共感しながらも、自分自身の情動や気分そのものは、しっかりキープしておかなければならない、と研究者は教えています。
共感できるというEQの働きが、知能の一つとしてのEQであり続けるためには、一定の距離が常に保たれていなければならない、というのです。
悲嘆にくれる友人に共感できる、という事と、いっしょになって悲嘆にくれる事とは全く別の事だという訳です。
子供たちに対する指導の上でも、この事は非常に重要で、私の経験からも、この二つの混同は良く起るものだと言えます。
いずれにせよ、情動の理解が相手の理解に不可欠だという事と、情動の理解の仕方についての知識は、
一対一の関係にでも、またグループや組織という関係でも、確かなコミュニケーションの実現に、非常に役立つ知識だと思われます。
いままで数回に分けて、コミュニケーションを取る上で、情動をどのように識別したり活用したりすればよいかという知識をお伝えしてきた訳ですが、
ここで、時節柄、実際の受験指導にどのように役立たせてきたかお話ししましょう。
具体例とするには少々乱暴かもしれませんが、対象になる生徒を三種類に分けたいと思います。
全員中学受験生とします。
三種類というのは、十一月段階の模試による合否判定が、
二・三十パーセン以下の子、
五分五分の子、
八十パーセント以上のほぼ合格確実と思われる子の三区分です。
まず、第一志望校の合格予想が、二・三十ぱーせんの子にはどう指導すべきでしょうか。
本人の抱いている情動を挙げてみましょう。
不安・恐怖・落胆・そして自分への嫌悪。もしかしたら怒りもあるかもしれません。
また、時々、可能性を感じて、希望や喜び・楽しみといった情動もあるでしょう。
こんな相手に対して、
「もっと勉強しないと落ちるぞ、!」
「言った通りじゃないか、このままでは必ず落ちるぞ!」などという脅しが有効かどうか、明らかだと思います。
そうでなくとも、毎日ネガティブな情動が湧き上がり、暗い気分の時が増えているところに、それに輪を掛けるような脅しは百害あって一利無しです。
絶望に追いやり、完全にやる気と自信を奪ってしまう危険さえあります。
ではどうするか。
まず、合格の可能性について、しっかり理解させることです。
現在同じ成績を取った子の十人中二人が合格している、というデータだと判らせるところから考えさせます。
じゃどうして、その子たちが合格できたのか。
その過程をいっしょに考えていき、本人の抱く情動をポジティブなものに入れ替えていくのです。
そして、毎日、その合格へのロードマップ上にいることを実感させてあげることです。
これが実行できれば、かなりの確率で、受験は奇跡的な結果になり得ます。
但し、この話は、最初に本人の抱いている情動が、非常にネガティブなものである、という前提からスタートしている訳で、
子供たちの中には、この機に及んでも、まだ受験という事態をしっかり認識できていない子も、
また存在することもありえるので、その場合は、受験そのものを再考する必要があります。
この続きは次回にします。