中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
教材の出版とテスト会の運営、EQ育成などトータルサポートする田島教育グループ
2013.2.24
前回お話ししたように、奇跡的とまでは言いませんが、下馬評を毎回覆すような選挙ばかりだったのです。
そもそも党の公認を得たり、それなりの後援者や後援団体を得るだけでもとても大変なことで、常人においそれとできることではありません。
ですから、どうしても彼の持つ強運を考えざるを得ないのです。
選挙に限らずとも、その強運を感じる場面は枚挙にいとまが無い感じです。
その時は大ピンチと見えることも、その後の展開で大きなチャンスに変わってゆくのです。
本当は私の知らないところで、苦悩から抜け出せない場面もあるのかもしれませんが、
私の知る限り、悲運・悪運と見えた事柄も、悉く、結果的には良好で、過程としての苦悩しかないように思えてしまうのです。
本人は、強運かもしれないが努力の結果だと言います。
そう言われると、その凄まじい努力を見て来ていますので、それ以上の反論はなかなか難しいのも事実です。
確か前回、早朝の駅頭演説の話をしましたが、似た話の紹介になってしまうかもしれませんが、凄まじい努力の例としてこんなこともありました。
衆議院議員になる前だったと思いますが、手のひらが痛いという話から始まったと思うのですが、
十二月に忘年会を二百回、一月に新年会二百回こなし、しかも会場に来てくれた人とは、全員握手するようにしている、と聞いて、
「俺にはバカバカしくてとてもできないな。おまえ、よくそんなことができるな。」と言うと、
「田島さん。修行ですよ。そう思わなければ僕も続かないでしょうね。国政に関わるということは、国民の命や財産を預かることにもなるんですよ。
そのための修行の一つだと思えば何てことないでしょ。」
正に求道者です。
もちろん、私は感動しました。
ガーンとやられました。
でも、特別な強運でないと説明がつかないのも事実なのです。
次回に続きます。