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2013.1.9
オカルトの力によって自転車を手に入れる考えと決別した日、登校した私はすぐ遠藤政夫を探しました。
名前は今でもはっきり正確に覚えています。
何組かは判りませんでしたが、片っ端から「この組に遠藤っている?」と聞いて回りました。
すぐに見つかりました。
本人とは、昼休みに話すことを約束しました。
遠藤はとても迷惑そうな表情をしていました。
それもそのはず。
二人には、生涯忘れないと思われる事件があったからです。
その事件とは、小学校の入学式の翌日の事だったと思いますが、二人で血だらけになるけんかをしてしまったのです。
遠藤に突き飛ばされて、廊下に置いてあった防火バケツに、お尻から落ちて
肌色の長い靴下と紺色の半ズボンが水浸しになってしまった情景の記憶があります。
原因は何だったのか、まったく判りません。
その後、叩いたり、蹴ったり、投げ飛ばしたり、つねったり、引っ掻いたりしながら、
渡り廊下から中庭へ、中庭から運動場へ、最後は校門のところまでやり合ったのを覚えています。
勝敗はついていなかったと思います。
二人とも、鼻血はもちろん、顔中に引っ掻き傷、足には擦り傷と、子供にしてはあっぱれと言えるほど、最後まで音を上げず闘ったと思います。
闘いの終わりは、遠藤が校門の外に消えてしまったからです。
そして、そのまま、行方をくらませてしまったので大事になってしまったのです。
夜もだいぶ更けてから、遠藤は見つけられたはずです。
何故遠藤は消えたのか?
本人に確認した事は一度もありませんが、私には何となく理解できていました。
洋服を大分引き裂いてしまったからです。
私の服もズタズタになっていた記憶があります。
お互いに、けんかをしてしまった罪悪感などほとんどなく、あったのはただ、
親が苦労して買ってくれた服を、台無しにしてしまったことにに対する罪の意識だけだったと思います。
私の家はその後いわゆる母子家庭になる訳ですが、彼の家はその時、既に、交通事故でお父さんを亡くしていたはずで、
男ばかり三人の子を養うお母さんの大変さは並大抵のものではなく、
その姿を毎日見ている、末っ子の遠藤としては家に帰るに帰れなかったのだと思います。
その遠藤に何故会って、何を話そうとしたのか、次回お話しします。