中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
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2013.1.24
当初は簡単に触れるつもりでしたが、後から後から記憶が甦ってくるものですから
ついつい、自転車獲得のエピソードが長くなってしまいました。
今回も思いましたが、人間の記憶というのは本当に不思議ですね。
ここ数年に起きたことなど、よくよく思い起こさないとよみがえってこないものも
多いのに、何十年も前のことが、つい昨日の出来事のように鮮やかに浮かび上がってくるのです。
級友の名前など、氏名まるごと、ポンポン出てくるのですから驚くばかりです。
極端な場合、昨日会った人の名前も満足に思い出せない事があるのにです。
話を元に戻しますが、この父の死以後の一連の体験が、私の中に価値観の根っこを作ってくれたのは確かです。
またその頃、トルストイの回想録のようなものを読む機会があって、その中で彼が自分の自立について述べていたのですが、
その記述に深く共鳴した事もこの根っこ作りに役立ったと思います。
その回想の中味ですが、概略こんなことなんです。
十二歳の頃、トルストイはある日突然ひどい頭痛に見舞われる。
親や友人など周囲の人々に、事細かにその様子を説明する。
頭のどの辺がどのように痛いのか必死に話す訳です。
人々はみな「かわいそうに」とか慰めの言葉をかけてくれるのですが、
どうしても自分の伝えたい痛みが誰かに通じたという確信が得られない。
そこでトルストイは、はっと気づくのです。
この自分の痛みと同じ痛みを誰かに知ってもらうのは、不可能なことなのだ。
何故なら、自分と人々とは、それがどんなに親しい間柄であろうと、それぞれが
独立した人間だから。
トルストイはこの瞬間、自分は自立したと書きしるしていました。
続きは次回に。