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2013.7.20
原因追及の一つの態度として、選択するということがある事を教えてあげましょう。
つまり、様々な、原因と呼べそうな候補があるなかで、敢えて自分を選択するという態度です。
これで何が変わるかと言うと,自分の力で事態を変える可能性が出て来ると言う事です。
原因が自分自身にあるとしたら、自分さえ変われば、事態は変わる事になる訳です。
他人のせいにしている限り、自らの手で事態を打開する可能性はゼロに等しいと言えるでしょう。
しかし、本当は神のみぞ知ると思われる原因を自分に選択した途端、打開策に着手できるのです。
そして、それは正に自立した姿であり、自立した生き方に通じるといえるでしょう。
ただ、ここで、気になることがあると思います。
そうです。
あのマーチン・セリグマン博士の教えです。
博士は、思春期までに心のワクチンを与えておけば、遺伝による影響力にもよるが、「うつ」ほぼ予防できると言われています。
そしてそのワクチンの中味は、楽観性をもたせるという事に尽きるようですし、その楽観性を育むには、
悪い状況に遭遇した時に、その原因を絶対的・永続的なものとして、自分に求めないことが重要だと言われています。
つまり、その悪い状況は一過性のものであり、原因についても、自分以外の原因の候補も必ず検討してみることが必要で、
もし自分自身が原因に絡むようならそれは、たまたまの場合がほとんどであると評価できないか考えることが大切だと言う訳です。
確かに私の主張は、このセリグマン博士の教えに一見背くようですが、実はそうではないのです。
次回に続きます。