中学受験・高校受験・大学受験・帰国子女を含む英語教育全般および
教材の出版とテスト会の運営、EQ育成などトータルサポートする田島教育グループ
2013.6.20
「白への回帰」の話は、子供たちにとっては解りづらいものだったようです。
高校生ですら、反応のはっきりしない事が何度もありました。
私自身は、「白への回帰」には、親鸞の教える「他力本願」に通ずる意味があり、
それがあの日の感動を呼び、勇気を与えてくれたのだと思っていますが、
塾で宗教的な具体性を持った話はご法度だと決めていましたから、
それ以上の説明は敢えてしてきませんでした。
この思想の種が根付いた生徒がいたら、一人一人それぞれ違った肉付けをしてくれたと信じています。
目指す自分の姿・理想形。
将来の成長・向上した自分。即ち「未見の我」。
そこにこそ本当の自分があると思えば、未熟で頼りない現在の自分に拘泥する必要など全くない。
変われる自分を信じ、変わる覚悟さえできれば、後は何も恐れる必要などない。
嘘をついたり、飾ったり、騙したりすることなんて全く馬鹿げていて無駄な事だと気付く。
重要なのは、我慢のならない現状からどれだけ向上できるか、どれだけ発展できるかという、ただ一点に懸っているんだ。
今の自分を笑ったり、蔑んだりする人がいてもいいではないか。
ほんの仮の姿なのだから。
いつでもこう気が付いた時が始まりの時。
常に今が始まりなんだ。
遅すぎるということは断じて無い。
オセロゲームのように、過去も変えられる。
少なくとも、誰でも、最初の白に回帰できるのだから、勇気を持って変わって行こう。
子供たちに、こうした価値観をしっかり根付かせたいものです。
次回に続きます。